こないだの夜、何夜もの様にスタンバイをしているとケータイが鳴ります。
な~んか変な気持ちを感じケータイをとると何と、僕の人生の師匠が一気に2人も天に駆けて行かれました。
師の名は、大野一雄、デニスポッパー。
両名とも僕が10代の頃迷走際、多大なるご支持を頂いた方で御座います。
14歳でLAの路頭で息焦燥している時、ご自宅に向かいいれ熱い珈琲を出していただき、小僧の作った作品を見て頂きおまけに自宅のトイレ入り口に飾ってまでいただいた。
その問い面には、暴力教室頃のポールニューマンのポートレートがあった。
あの頃デニスポッパーはドラックから離れようとしていた頃だった。
顔色が良く、レーサーレプリカのバイクに熱中していた。
あのデニスホッパーがメキシコで今は永眠についている。
ラストムービーをもう一度と、叫びたい!!
デニスありがとう!!
貴方が居てくれたから、僕は思いっきり生きる事を知った。
そして映画、文学、音楽、アートを知った。
言い尽くせない、感謝を、、、。
Hopper Goodbye that it is asked by being!!
その後僕は、東京に行き劇団時代に入る。
その芝居と言うモノに打ち込めば打ち込むほどに、息苦しさを感じてしまう事があった。
その時、何故か小学校5年生の頃ボーと見ていたNHKの番組のシーンを思い出した。
そのシーンでは、黒馬を絵に描きそして自身の畑でそのイメージする黒馬を踊る大野さんがいた。
そのイメージだけを頼りに、大野さんの稽古場を探し毎週土曜に横浜まで通っていた。
大野さんの言葉は、今でも僕の羅針盤である。
魂の先行、魂さえも突き抜けた先に有るものが光、、、。
大野さん、あれから僕は映画に出たり靴を作ったり世界を旅していました。
そして、今僕はフラメンコを始めております。
あの頃の波をまた取り戻せそうです。
舞踏を通して、生きるソースを得ております。
貴方からいただいた芳醇な言霊、舞踏が何時までも僕の中に、、、。
肉体を離れた大野さんの踊りをもう一度、、、。
限りないアリガトウを!!